eiko775018のブログ

66歳からの新しい生活

ニース、モントンレモン祭り

ニースで2泊しました。

マルシェの朝市に行ってきました。

ホテルのすぐ近くの停留所。


そこから3駅くらいのところ

マルシェ






ここでいちごを買い、ホテルで食しましたが酸味、甘みが会って美味しかったです。




そのあとはマントンでレモン祭りを観にいきました。

Lemonとオレンジで飾り立てたオブジェ。








札幌で言えば大通り公園のようなところに雪像の代わりにレモンのオブジェがある

といったところでしょうか。

このレモン祭りで使用したレモン、オレンジはどうするのか聞いてみました。

一年分のジャムに加工するそうです。



今回の旅は西洋のお祭り

ベニスのカーニバル

モントンのLemonまつり

ニースのカーニバル

これを見る旅です。

日本人はお祭り好きと言われていますが

西洋もヤッパリお祭好き

樂しく陽気に騒いで発散したいということでしょうか。

コロナで出かけれなかった日々。

少しづつ普通の日常を世界も取り戻しつつあるようです。

ヨーロッパではマスクをしたひとはみかけませんでした。

添乗員さんも羽田まではマスクを着用していましたが、現地では全く着けません。

混み合ったレストランで陽気におしゃべりしながら食事する人たち。

最初はコロナに感染するのでは  と恐ろしかったですが旅行中だれも発熱などの症状があった人はいませんでした。


足の不調に悩まされながら行った旅。


帰国してから整形外科を受診しました。

レントゲンとMRIを撮りわかったことは右足 膝関節変形症膝軟骨がすり減ってなくなっていました。

とりあえずヒアルロン酸を膝に打ち経過観察。

左足のはこびが悪い

脊柱管狭窄、およびヘルニアの併発

血液の循環を良くする薬の服用。

  うーん 今回はちょっとへこたれました…

またかよ!

って感じです。


右膝は4段階の3位悪いので

人口関節の手術も考えるように言われました。



最後のニーズのカーニバルは夜で、しかも車の渋滞でバスも会場付近までどれだけ近づけるかは分からず、だいぶ歩かなければならないので参加を断念しました。夫だけは行くように言ったけど夫は私を置いていけないとホテルでいっしょにいてくれました。

いつも最後尾を歩いて遅れ、やっと旅していました。

引率したあとわざわざ戻って様子を見に来てくれた添乗員さん

ありがとうございました。

ニース、モナコ、エズ

憧れの南のニース、モナコ


行ってみたらモナコはすごーくちっちゃい国?だった。

2キロ四方しかない。

高台にあるので海に面しているのもヨットハーバーぐらいだし


ニースだかモナコだかわからない




  ニース


裸で日光浴している人や海中に入っている人もいるいました。

小春日和のような暖かさ







憧れの地にいることが信じられない。

エズという高台にある小さな村にも行きました。

香水を作っていました。







北海道にも函館や小樽といった風光明媚な港町はあるけどやっぱりヨーロッパは何かが違う…



ニースに宿泊しました。

お見送りが終わって

久しぶりに郷里に帰り、そして義兄の通夜、葬儀

義兄の遺言通り家族葬にしました。

通夜の読経の前にお参りしてくれた人もいて、義兄は町内会長、民生委員などもしていたことや、娘が融雪関係の会社を経営していたこともあり、家族葬と言いながら焼香して読経まえにお帰りになったひとが多数居ました。

あとはお坊さんが来て身内だけでの通夜。

会場に泊まったのは喪主の姉、娘、息子、私の4人。

ひっそりと静かに故人との最後の夜をすごしました。

この会場は家族葬向きに建てられており、一家族のみしか葬儀しません。

夜は葬儀社の方もお帰りになり施錠して家族のみです。

家庭用のお風呂、台所、洗面所などの設備があります。

家族葬は初めてでしたが落ち着いていてよいと思いました。


朝早くに朝食を用意する方が来て8:20くらいから告別式が始まりました。

家族と身内だけなので早くできるのでしょう。

そして9:30には出棺しました。

送迎のバスも20名乗りのマイクロバスで。

みんなで優しかった義兄の人柄を偲びながら骨あげしました。


会場に戻ってからは49日繰り上げ法要はせずに終了しました。

49日は家族だけで3人でするそうです。

心づくしのお菓子などを頂いて解散しました。


姉も高齢ですし、義兄の兄弟も高齢。

負担の少ない葬式でした。

コロナで施設で暮らしていた義兄に何年も会えず義兄もさびしかったと思います。


コロナが終息したかと思えば戦争が起きたりして世界が落ち着くのはいつになるでしょう。