父の日
母の日は前からあるけど父の日って昔からあった?
覚えがない。
一体いつからあるのだろう?
父が鬼籍に入ってからだいぶ経つ。
日本人の標準寿命の83歳で亡くなった。
死因は残念ながら当時病院で流行ったMRSAによる肺炎。
歩けなくなって車椅子
そして病院の管理が悪いことで起きる沈下性肺炎。でも会話は出来た。
母から入院の連絡があって隔離された病室に行くと父は胸が苦しいと訴えた。
また来月来るからと言ったら父は手を振って答えた。
でもそれが最後の対面だった。
当時勤めていた救急病院のICUの病室から戻ると事務から電話があったという。お姉さんからの電話がきていたそうな。嫌な予感。うちの家族はそもそも職場に電話することはない。
と、再び内線の電話があり、電話が取り次がれ姉からだった。
たった今父が息を引き取ったと。
実家から帰って一晩、父は逝ってしまった。
あれは最後の父との対面、
最後の会話。
この時私は本当に神様に心から感謝しました。
郷里に帰るのは年に2、3度。
父と暮らしたのは高校卒業までの18年。
社会人になってからは会うのは少なかった。
父との思い出はお祭り。
父は村のお祭りの実行委員長だった為、お神輿の記念写真などは私と兄がど真ん中にいて写っています(笑)
また道内の有名なお祭りにも必ず連れて行ってくれました。
わたあめ、ヨーヨー
買ってもらったおままごと道具。
秋の村祭りでは旅芸人の舞台公演に祖母も含め一家で行ってました。
橋にかかる大がかりな花火大会
帰りに食べた舌が真っ赤になるイチゴ氷水。
お出かけの思い出にはいつも父が居ること。
我が家は農業だった為、高校卒業までは一緒に居れました。
そう考えると転勤で単身赴任している家庭は父親と過ごす時間が短く、家族として暮らす時間が少ないように感じます。
日本の勤務体系も考えるべきかも。
しかしこの度の新型コロナでリモート勤務も増え、社会が変わる時期なのかもと思っています。
首都や大都市に会社が集中するのも変わっていくのかな。
幼い頃から体の弱かった私はよく発熱したりして時間外にかかりつけの医院に父に背負われて行っていました。
当時は電話もなく、有線で連絡を入れ未だ車もなく便利な抱っこ紐もなく長ーい帯で私を背負い、ねんねこを着てオートバイで行った医院。
小柄な父の背中は暖かかった。
父の日に暖かい気持ちでそのことを思い出し、心がほっこりしました。
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